宗教法人 日蓮宗 妙法山 尊立寺 長野県小諸市六供一丁目9号27番 電 話 0267-22-3805 FAX 0267-22-4045 |
種 類 | 構 造 | 床面積 | 登記月日 |
本 堂 | 木造平屋瓦葺 | 123.48u | 明治28年再建 |
位牌堂 | 木造平屋瓦葺 | 平成7年12月5日増築 | |
客 殿 | 木造平屋瓦葺 | 265.58u | 平成7年12月5日新築 |
庫 裡 | 木造二階建瓦葺 | 104.34u | 平成7年12月5日新築 |
妙見堂 | 木造平屋瓦葺 | 51.35u | 昭和47年8月1日新築 |
寺 寶 |
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尊立寺由緒書 |
記された日付は元禄12年3月15日、 尊立寺 6世日性代 大きさは縦27.2p、横53p (昭和54年11月8日付) |
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妙見大士像 |
作られた年代は江戸時代中期と推測される。(画像は妙見大士像を安置するお厨子ごと撮影したもの) 像の大きさは縦16.6p、横12p。 中央に蛇と亀を配し色は黒色。 (昭和54年11月8日付) |
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御題目歓喜神 嘉永5年(1852年)12月 |
御題目清正公 嘉永6年(1853年)12月 |
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御題目北辰妙見大菩薩 文久2年(1862年)9月1日 身延69世日琢上人 |
御題目無縁供養塔 昭和25年8月(1950年) 16世日道代 |
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寒題目供養塔 宝暦6年(1756年)11月 10世日陽代 |
浅井洌題額 岡川五郎書 筆塚 大正14年(1925年)2月 14世日龍代 |
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日蓮聖人六百御遠忌 明治12年(1879年)8月 13世日淨代 |
奉讀誦陀羅尼品一千巻先祖供養 文政12年(1829年)2月 |
尊立寺小史 |
当寺の宗旨は日蓮宗 山号を妙法山 寺号を尊立寺と云う。
応永十二年(一四〇五年)総本山身延山久遠寺第八世行学院日億上人の弟子、日順上人により開創される。
文明十四壬寅年(一四八二年)地頭大井伊賀守光忠の外護を受ける。
永禄年中
武田信繁は日明上人に帰依し菩提寺とす。
天正十一年(一五八三年)三月
小諸城にて信繁の嫡男信豊は下曽根覚雲
(浄喜)の反忠により討死す。
当寺に信豊一門が隠れ居るとの疑いにて、下曽根の兵火により本堂等を
全焼失する。
此の時、信豊の母君は自害いたし当寺に葬られた。
其の後仮堂を建立するも追々衰微し永年無住となる。
人皇百九代明正院時代秀忠候治世
寛永八年(一六三一年)三月二十八日 武
州碑文谷法華寺第十二世日誠上人の弟子尊立院日勢上人が、領主松平伊賀
守憲良の外護により再建す。
此の時改めて伊賀守憲良を開基とす。以来尊立寺と号し、法華寺の末寺と成る。
日勢上人代
身延山久遠寺より開運尊星北辰妙見大菩薩を賜り奉安す。
人々に“妙見さん”として尊崇され
修法布教し今日に至る。
元禄十二年(一六九九年)第六世量徳院日性日上人代、法華寺不受布施派が
幕府により禁止となる。
翌十三年三月十五日、身延山第三十二世日省上人代に身延派に転じて身延
山久遠寺より契約本尊領之身延末と成る。
第十世日陽上人代、寛保二年(一七四二年)八月一日 黒斑山大洪水(戌之満水)により寺地堂宇什物旧紀等流失す。
領主牧野内膳正康周より引き換え霊場境内地五百十歩(現在地)御寄付被下
明治二十七年(一八九四年)五月四日第十三世潮龍院日浄上人代、本堂・妙見堂・庫裡を焼失し
翌二十八年再建されたり。妙見堂は老朽化し第十六世日道上人代、昭和四十七年に改築す。
平成六年(一九九四年)日蓮宗開宗七百五十年・当寺開創六百年を記念し、平成大改修で本堂屋根葺き替え
位牌堂増築・外部修繕・妙見堂修繕・境内整備・客殿庫裡改築の報恩諸事業を行う。
平成七年(一九九五年)の秋に落慶円成す。現住第十七世日行代の事業也。
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浅間山を背にし、晴れた日は 北アルプスがよく見えます。 |
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