クリスマスと茶の湯


いつ頃から、今のようなミサになったのか

 基本的な形は、およそ2世紀頃までさかのぼると考えられています。もちろん感謝の祭儀(ミサ)の原型は、イエスが、最後の晩餐の席上で述べられた「私の記念としてこのように行いなさい」(ルカ22章19節)に基づいています。 この「教会のはじめの時」の姿を、新約聖書はごくあっさりと伝えます。
 「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(使徒言行録2章42節)
 「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。」(使徒言行録2章46−47節)
  「彼ら」、まだキリスト者という名さえ持っていない人々のグループは、「教え」、「相互の交わり」、「パンを裂く」、「祈り」、この四つのことを共にするために、個人の家に集まりました。イエスの死後、まもないころのことでした。
 原始キリスト教共同体、つまりキリスト教会はこのようにして始まりました。
 「パンを裂く集まり」がこの共同体の要となる祭儀であり、2世紀のはじめには「感謝の祭儀」、そして5世紀ごろから、この祭儀全体を指して「ミサ」という言葉が用いられるようになりました。
 死去の前夜、イエスは弟子たちにご自分の父の国で彼らとともに飲む新しいぶどう酒(マタイ26章29節)について話されました。ところが、復活の日の夕暮れ、イエスはエマオに向かう途上で道連れになった二人の弟子にパンを裂いて与え(ルカ24章30節)、その後、エルサレムに集まっていた十人の使徒たちから食事の残りを受けて食べておられます。(ルカ24章41節)。また、ガリラヤの湖畔では使徒たちに、「さあ、朝の食事をしなさい」(ヨハネ21章12節)と仰せになりますし、最後には使徒たちと食事をともにされた後、彼らを離れておん父のもとに戻られました。(使徒言行録1章4節)
 そのときから、最後の晩餐の思い出は、復活されたキリストとともにした食事の思い出と結びついています。神が自ら人となり、人間の家族の一員となってもたらされた死と復活、これがキリストの過越しの神秘です。
新しい契約のいけにえの食事、栄光の主とともにいただくパン、信者の共同体の感謝、司祭をとおしてキリストご自身が主宰される食卓を囲む喜びにあふれる会衆。以上が、最後の晩餐からほど遠くない時代のミサで、これは今日でも同じです。 この使徒たちの時代から今日にいたるまで世界のさまざま土地で、場所で、人々は感謝の祭儀を捧げ続けました。その根本の中心的な部分では、祭儀の最古の文献(『聖ヒッポリュトスの使徒伝承』)に記されているものと同じ言葉を用いて今日も祈っています。けれど、祭儀のかたちでは、2000年の間に歴史が移りいくとともにかなりの変化が生じました。
 原始教会では、ひとつのテーブルを「主の食卓」として人々がとり囲み、ひとつのエウカリスティア(主のパン=聖体)にあずかりました。しかし、中世末期には、司祭も他の奉仕者も信徒も同じ聖堂にいながら互いに顔を合わせることなく、各自がそれぞれに神に向かって祈るという、個人と神との個別的な礼拝の場となり、しだいにミサは現世利益的な傾きに陥っていきました。
 宗教改革の時代、ミサに関しても改革を求める声が上がり、ミサをわれわれ人間への神からの贈りもの、神への感謝と見るよりも、神に気に入ってもらえるような人間の行為とする見方が、まさに改革を必要とされ、16世紀のトリエント公会議は、混乱した秩序を回復するという実践的な仕事を果たし、20世紀の第二バチカン公会議は、感謝の祭儀の伝統を十分に把握しなおしてその思索を深め、ミサはキリストの唯一の奉献を記念する祭儀であり、その祭儀を祝う教会とは、信者の具体的な集いを意味することを再確認しました。祭壇を囲んで会衆に対面し会衆とともに捧げるミサの典礼の言葉は、全面的に会衆の言語、各国語が用いられるようになりました。

 ところで、カトリック教会ではミサを「聖体拝領」といいますが、プロテスタントでは「聖餐式」といいます。
 カトリック教会とプロテスタント教会の考え方の違いは、教会にかかっている十字架にキリストのからだが付いているか、いないかです。
 カトリック教会では十字架にキリストの体が付いています。カトリック教会の聖体拝領は英語ではsacrifice、つまり犠牲を意味します。カトリックにおいては、ミサの中で聖別されることによりパンとぶどう酒は本物のキリストの血と体に変化し、ミサのたびに、キリストのからだを生贄として繰り返し神に捧げる儀式を行なっているのです。(注-12)
 十字架にキリストの体が付いていないプロテスタント教会においては、キリストが自分のからだを生贄として神に捧げられたのはただ一度のことであり、そこで完成されたと考えます。ですから、聖餐式はキリストの業を記念し、感謝する儀式とされています。
 そのような違いはあるのですが、聖餐式またはミサが、主であるキリストが自分のいのちを与え、信者はそれをただ感謝していただくという儀式であることは同様だと思います。
キリスト教の中心が神の究極のもてなしに人が与ることにある点で、亭主が一期一会の心で客をもてなす茶の湯の道はキリスト教に通じるものがあると思います。


注-12
 ローマ・ミサ典礼書の新総則2
 ミサが本質的に生贄であることは、教会の全伝承を受け継いだトリエント公会議によって議決されたが、第二バチカン公会議はそれを再び肯定して、ミサについて次のように述べている。「救い主は最後の晩餐で、ご自分のからだと血による感謝の生贄を制定されたが、それは、ご自分が再び来られるまで、諸世紀を通して十字架の生贄を永続させるため、また愛する花嫁である教会に、ご自分の死と復活の記念を託すためであった。」

ローマ・ミサ典礼書の新総則72
 最後の晩餐において、キリストは過越の生贄と会食とを制定されたが、主ご自身が行い、そしてご自身の記念として行うよう弟子達に託されたのと同一のことを、司祭が主キリストの代理として行うことにより、十字架の生贄が教会において絶えず現存するものとなる。

 
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