ミサと茶の湯のどんなところが似ているのか
茶の湯にも、いろいろな点前があるように、ミサにも状況に応じたいろいろな作法があります。また時代の趨勢により、幾分の変化が生じているということも双方ともに見られます。
武者小路千家14代家元不徹斎宗匠は、かつてヨハネ・パウロ二世教皇あての書簡に「私は京都のカトリック系の学校に通っていたころを思い出します。すでに茶の湯の心得があったので、チャペルでのミサに出席するときも、茶道との共通点を少なからず発見しました。…司祭だけでなくキリシタンの武士や商人を相手に、千利休が語らう機会は多かったはずです。妻と家族も信者であり、ミサにあずかっていたと思われます。ただし自身は、キリスト教徒だとは公言していません。…茶道への新たなとりくみを模索していた千利休は、ミサという最後の晩餐の再現に深い感銘を受けたのだと、私は考えます。」と書いています。
個々の所作において、双方がそっくり同じであるというわけではありません。千利休は、ミサにおける個々の所作を真似たというよりは、ミサの所作に触発されたものを、茶の湯の点前の流れに合うように取り入れていったと言うのが正確かもしれません。
それでは、あくまでも印象としての相似と言うことにならざるをえないということを前提に、どのようなものがミサにおける所作と似ているのかローマ・カトリック典礼書をもとに見てみましょう。
茶の湯では、まず亭主が食籠(じきろう:菓子器)を持ち出し、食籠を主客に預け、客は食籠に盛った菓子を取り回していく作法があるわけですが、ミサにおいてもパテナ(聖体皿)に置いた聖体(水と小麦粉だけで作られた「種なしパン(イースト菌の入っていないパン)」)を取り回しして頂く所作があります。
(注-13) 茶の手前では、茶碗の中に茶巾を入れ、茶筅を真ん中に入れ、その右に茶杓を伏せて置き、仕組んで、茶室に運び出しをするわけですが、ミサにおいてもカリスと呼ばれる杯を仕組んで運び出しをします。
濃茶の作法で男子同士の場合、茶を頂いた後茶碗と出し袱紗を右手に乗せたまま、左手で懐紙で飲み口を拭き次客に手渡しますが、ミサにおいてもカリスの飲み口を拭いて順次手渡していく所作があります。(注-14)
この濃茶の飲みまわしの事を「吸い茶」と言いましたが、この「吸い茶」は利休が始めたとされています。
享保16年(1731)の序をもつ尾張藩士近松茂矩の編になる
『茶湯故事談』には、「むかしハ濃茶を一人一服づつにたてしを、其間余り久しく、主客共に退屈なりとて、利休が吸茶に仕そめしとなん」。また『草人木』にも、「むかしハ独ニ一服つつの故(茶入れより茶を入れる回数は)ミすくい也
(三掬い)。 利休よりはすい茶なる故に、猶定なし。」とあります。
また、帰ってきた茶碗に湯を入れ回してすすぎ、湯を建水に捨ててから、茶巾で茶碗を拭きますが、ミサにおいても拝領が終わったあとパテナを拭き、カリスに水を注いですすぎ、プリフィカトリウム(清掃布)で拭く所作をします。
(注-15)