茶經

六之飲
七之事
八之出
九之略
十之圖

一之源
一 茶の起源
茶者、南方之嘉木也。
一尺二尺迺至數十尺、其巴山峽川有兩人合抱者、伐而掇之
其樹如瓜蘆、葉如梔子、花如白薔薇、實如栟櫚丁香、根如胡桃
瓜蘆木、出廣州、似茶、至苦澀。栟櫚蒲葵之屬、其子似茶。胡桃与茶、根皆下孕、兆至瓦礫、苗木上抽。

茶は、南方の嘉木なり。
高さは一尺二尺から数十尺に至り、巴山や峡川には二人で抱えるほどのものがあり、その枝を伐って葉を摘む。
その木の幹は瓜蘆の如く、葉は梔子の如く、花は白薔薇の如く、実は栟櫚の如く、蔕は丁香の如く、根は胡桃の如くである。
(瓜蘆の木は広州に産し、茶に似ているが、いたって苦くて渋い。栟櫚は蒲葵の属でその実は茶に似ている。胡桃と茶は、根が皆地下で育ち、瓦礫に至ると種子が割れて、苗木が上に伸びる。)

其字、或從草、或從木、或草木并。
(從草、當作、其字出開元文字音義。從木、當作〓(木茶)、其字出本草。草木并、作、其字出爾雅。)
その字は、草冠であったり、木扁であったり、草冠と木扁を並べたりしている。(草冠であれば「茶」となり、その字は『開元文字音義』に出ている。木扁であれば「〓(木茶)」となり、その字は『本草』に出ている。草冠と木扁と並べれば「荼」となり、この字は『爾雅』に出ている。)
其名、一曰、二曰、三曰、四曰、五曰
周公云、、苦荼。楊執戟云、蜀西南人謂郭弘農云、早取為、晚取為、或曰耳。)
その名は、一に茶といい、二に檟といい、三に蔎といい、四に茗といい、五に荈という。
(周公は「檟とは苦茶のことである」と云い。楊執戟は「蜀の西南の人は、茱のことを蔎という」と云い、 郭弘農は「早く取ったものを茶、晩く取ったものを茗、あるいは荈とのみいう」と云う。)
其地、上者生爛石、中者生櫟壤(櫟字當從石為礫)、下者生黃土
而不實、植而茂、法如瓜、三歲可采。
野者上、園者次。
陽崖陰林、紫者上、綠者次、笋者上、芽者次、葉卷上、葉舒次。
陰山坡谷者、不款項堪采掇、性凝滯、結瘕疾
その地は、上なるものは爛石に生じ、中なるものは櫟壤(櫟の字は石扁の礫とすべきである)に生じ、下なるものは黄土に生じる。
およそ種をまいても実らず、植えても茂るのはまれである。瓜の種をまくような方法でやれば、三年で採ることができるようになる。
野生のものが上、茶園のものが次ぐ。
陽のあたる崖の陰のできる林の、葉が紫のものが上、緑のものが次ぐ。筍の形のものが上、牙の形のものが次ぐ。葉の巻いたものが上、葉の延びたものが次である。
日陰の山や谷間に生えたものは、採るに値しないし、凝り滞る性があるので、飲むと腹のなかがしこりの病になる。
茶之為用、味至寒、為飲最宜、精行儉德之人。
若熱渴、凝悶、腦疼、目澀、四肢煩、百節不舒、聊四五啜、与醍醐甘露抗衡也。
茶の効用は、味は至って寒だから、飲むに最もふさわしいのは、行いが優れ、倹徳の人であろう。
もし熱で喉が渇き、胸がもやもやして、頭痛がしたり、目が渋く、手足のだるく、節々がのびやかでない時に、聊か四・五口も啜れば、醍醐や甘露にも拮抗する。
采不時、造不精、雜以卉莽、飲之成疾。
茶為累也、亦猶人參
上者生上党、中者生百濟新羅、下者生高麗
有生澤州易州幽州檀州者、為藥無效、況非此者。
設服薺苨使六疾不〓(冫廖)。
人參為累、則茶累盡矣。
採る時期を誤ったり、製造が精巧でなかったり、他の野草を混ぜると、飲めば病気を引起す。
茶がわざわいとなることは、ちょうど人参と同様である。
人参の上等品は上党に産し、中等品は百済、新羅に産し、下等品は高麗に産する。
沢州、易州、幽州、檀州に生えるものもあるが、薬としては効能がない。ましてや本物でもないものならなおさらである。
薺苨を服用させたのでは、六疾のただ一つでも治せるものではない。
人蔘でもわざわいとなることがわかれば、茶がわざわいとなることを十分にわかるはずである。

 
○巴山峽川
湖北省巴東県から長江三峽を経て四川省川南群山に至る一帯。巴山︰湖北省巴東県にある山、またの名を金字山という。『名勝志』に「一峰分三岡、形如金字。山產茶、色微白、即所謂巴東真香茗也。」とある。.峽川︰湖北省恩施土家族苗族自治州巴東県から長江三峽(瞿塘峽、巫峽、西陵峽)を経て四川省川南群山に至る地域の称。
○伐而掇之
枝を切り取って葉を摘み取る。伐(バツ)は、『詩經』.周南に「遵彼汝墳、伐其條枚。」(彼汝墳に遵いて、其の條枚を伐る。)とあり、木などを切り取ること。 掇(テツ)は、『詩經』.周南に「采采芣苡、薄言掇之。」 (芣苡を采り采る、薄く言に之を掇る。 ) とあり、拾い取る、選り取る、細いものを手で拾い集めること。
○瓜蘆(カロ)
植物名。皋盧(こうろ)ともいう。日本で、唐茶、苦茶と呼ばれるものという。後漢(25~220)の『桐君錄』に「又南方有真瓜蘆木、亦似茗、至苦澀、取爲屑茶飲、亦可通夜不眠。」(又た南方に真瓜蘆木あり、亦た茗に似る、至って苦澀、取りて屑茶と為して飲む、亦た通夜眠らざる可し。)、東晋(317~420)の斐淵の『廣州記』に「皋蘆、茗之別名、葉大而澀、南人以為飲。」(皋盧、茗の別名なり、葉は大にして渋い、南の人以って飲と為す。)、明の李時珍(1518~1593) の『本草綱目』に「龍川縣有皋蘆、一名瓜蘆。葉似茗、土人謂之過羅、或曰物羅、皆蠻語也。」(龍川県に皋盧あり、一名を瓜蘆。葉は茗に似る、土人之を過羅と謂い、或いは物羅と曰う、皆な蛮語なり。)とある。
○梔子(くちなし)
植物名。茜草(アカネ)科の常緑低木。葉は対生し、革質で光沢がありる。夏、枝先に芳香のある六弁の純白色の花を開く。八重咲き・大輪咲きなどもある。果実は倒卵形で黄赤色に熟し、古くから黄色染料として用い、また山梔子(さんしし)といい消炎・解熱薬とする。和名は、果実が熟しても裂開しないところから「口無し」という。
○白薔薇(しろいばら)
植物名。野薔薇(ノイバラ)。バラ科の落葉小低木。やや蔓状で、茎に鋭いとげがある。葉は楕円形の小葉からなる羽状複葉。5~6月枝先に径2~3cmの白色五弁花を10個内外つける。実は赤く熟し、乾燥した果実を漢方で営実といい瀉下・利尿薬とする。のばら。うばら。いばら。陶弘景(456~536)の『本草集注』に「營實即是牆薇子。」(営実は即ち是れ薔薇子なり。)とあり、明の李時珍(1518~1593) の『本草綱目』に「營實牆蘼。音冐本經下品。釋名薔薇、別錄山棘、別錄牛棘、本經牛勒、別錄棘花。綱目時珍曰、此草蔓柔蘼、依牆援而生故名蘠蘼。其莖多棘刺勒人、牛喜食之、故有山刺、牛勒諸名。其子成簇而生、如營星然、故謂之營實。」とある。難波薔薇(ナニワイバラ)のこととするものもある。貝原益軒の『大和本草』に「金罌子(ナニハイバラ)。和俗難波イハラ、又大イハラト云、枝葉ツ子ノイハラヨリ大ナリ、棘多シ枝垂テ長シ、單白花ヲ開ク、花モ大ナリ有香、實大ナリ罌ノ形ニ似タリ、挟メハ能活、稲若水コレヲ以為金罌子ト、本艸金罌子ノ説ヨク與此合へリ、本艸ニ郊野ニ叢生ス、野薔薇ト云、中華ニハ野生スルナルヘシ、本邦ニ昔ヨリナクテ、近年中華ヨリ来レリ、野生ナキハ宜ナリ、本邦ノ野薔薇ノ實ハ小二テ罌形ニ似ズ。」とあり金罌子のこととし、『本草綱目』に「金櫻子。蜀本草。釋名刺梨子、開寳山石榴、綱目山雞頭子。時珍曰、金櫻當作金罌、謂其子形如蕾罌。」とある。
○栟櫚
植物名。棕櫚(しゅろ)。『說文』に「椶。栟櫚也。可作萆。」、明の張自烈の『正字通』に「栟櫚木高一二丈、葉如蒲扇、葉下有毛如鬉、故謂之鬉櫚。亦作椶櫚。」とある。
○蒂(テイ)
蔕(テイ)と同じ。蔕(へた)のこと。萼(がく)。
○丁香(ちょうじ)
植物名。丁子(ヴョウジ)。フトモモ科の常緑高木。芳香があり、楕円形で両端がとがり、筒状の白色四弁花が枝頂に多数つく。蕾を干したものを丁子・丁香あるいはクローブといい、香料とする。また蕾・花柄・葉などから丁子油をとり、香料・薬用とする。
○胡桃(くるみ)
植物名。クルミ科クルミ属の落葉高木の総称。果実は丸く、中の子葉部分を食用にする
○廣州
唐代の廣州は今の広東省。
○蒲葵(びろう)
植物名。ヤシ科の常緑高木。暖地の海岸付近に生える。高さ10m近くになる。幹は直立し、葉は手のひら状に深く裂けていて、幹の頂に多数集まってつく。雌雄異株。春、葉の付け根から枝分かれした柄を出し、黄白色の小花を多数つける。果実は楕円形で青色。
○根皆下孕、兆至瓦礫、苗木上抽。
孕(はらむ)は、『說文』に「懷子也。」とあり、妊娠すること。地下において発育すると解した。下孕(しもぶくれ)とするものもあり、茶の主根における木化根を指すか。兆(きざす)は、『說文』に「兆。灼龜坼也。」とあり、亀甲を焼いたときにできる裂け目。開く。茶が、種子が割れ中から芽を出す様子を指すと解した。這う、伸びるとするものもある。瓦礫。瓦は、『說文』に「土器已燒之總名。」、礫は、『說文』に「小石也。」とある。茶の木は深根性の作物で、水はけの良い、酸性土壌を好み、下層に礫を含んだ粘土または礫質壌土の地域での茶が生育がよいという。抽(ぬきんでる)は、『說文』に「或从由。引也。」とあり、引いて伸びること。 
○開元文字音義
唐の玄宗の開元23年(735)に編輯された官撰の字書。全30巻。このなかで「茶」の字が初めて輯録される 。 
○本草(ほんぞう)
『新修本草』。唐の高宗の勅で顕慶4年(659)に上奏された本草書。七巻本『本草集注』に李勣・蘇敬らが増補加注した朱墨雑著の『新修』20巻と、新たに編纂した『薬図』25巻・『図経』7巻。「茗。苦〓(木余)。茗、味甘苦、微寒、無毒、主瘻瘡、利小便、去淡〓渇、令人少睡。秋採之苦〓(木余)、主下氣消宿食。作飲加茱茰葱薑芽。案、爾雅釋木云、檟、苦〓(木余)。春秋採之。榛音一名荈。出山南全州梁州漢中山谷新附。」とあり、茶の字を「〓(木余)」に作っており、茶経にいう「從木、當作〓(木茶)、其字出本草。」に合わない。
○爾雅 (じが)
中国最古の字書。秦(B.C.221~B.C.209)から前漢(B.C.202~7)にかけてまとめられたものと言われ、『前漢書』藝文志に「爾雅。三卷二十篇。」とある。釋詁、釋言、釋訓、釋親、釋宮、釋器、釋樂、釋天、釋地、釋丘、釋山、釋水、釋草、釋木、釋蟲、釋魚、釋鳥、釋獸、釋畜に分かれている。 その釋木に「檟、苦荼。」とある。
○茶(チャ)
植物名。  『正字通』に『魏了翁集』を引いて「茶之始、其字爲荼、如春秋齊荼、漢志荼陵之類。陸、顏諸人、雖已轉入茶音、未嘗輒攺字文。惟陸羽、盧仝以後、則遂易荼爲茶。」とあるといい、「荼」の一画をとって「茶」としたものは民間で俗字として用いられ、陸羽が『茶経』で用いて広く広まったという。
○荼(ト)
植物名。『說文』に「荼、苦菜也。」、『爾雅』に「荼、苦菜」とあり、草本植物を表す草冠と、苦いことを意味する「余」からなり、苦菜を指す。『詩經』邶風に「誰謂荼苦、其甘如薺。」(誰か荼を苦しと謂う、其の甘きこと薺の如し)、豳風に「採荼樗薪」(荼を采り樗を薪にす)、大雅に「周原膴膴、菫荼如飴。」(周原は膴膴として、菫と荼は飴の如し。)とあり、三国呉の陸璣の『毛詩草木鳥獸魚疏』に「一名荼草、一名選、一名游冬。葉似苦苣而細、斷之白汁、花黃似菊。」、『本草綱目』の苦菜の條に「其莖中空而脆、折之有白汁」(其の茎は中空にして脆く、之を折るに白汁あり)とあり、キク科タンポポ亜科の特徴と一致するという。茶に「荼」の字を当てるのは、原産地の雲南のデャ、テャという茶を意味する発音に荼を当てて使うようになったという。
○〓(木茶)
植物名。
○檟(カ)
植物名。『說文』に「檟。楸也。」とあり、楸(ひさぎ)は、比佐岐・久木で、アカメガシワまたはキササゲの古名という。アカメガシワ(赤芽槲・赤芽柏)は、トウダイグサ科アカメガシワ属の落葉高木。キササゲは、ノウゼンカズラ科キササゲ属の落葉高木。『左傳』に「必樹吾墓檟、檟可材也」(必ず吾が墓に檟を樹えよ。檟は材とすべきなり。)とあり、檟は棺桶の材料とされていた。
○蔎(セツ)
植物名。『說文』に「香艸也。」、『玉篇』に「香草也。」とある。
○茗(メイ)
植物名。『說文』に「荼芽也。」、『玉篇』に「茶芽也。」、『爾雅註』に「荼晚取者爲茗、一名荈。」とある。
○荈(セン)
植物名。『說文』に見えない。『三國志』の「呉志」の韋曜伝に「密賜曜茶荈以當酒。」(密かに茶荈を賜り以って酒に代う。)とある。
周公(しゅうこう)
周公旦(しゅうこうたん)。周(B.C.1066~B.C.771)の武王の弟。宋代の邢昺の『爾雅注疏』に「周公倡之於前、子夏和之於後」とあるように、『爾雅』の著者に擬されていた。
○楊執戟(ようしつげき)
楊雄(よう ゆう)。前漢末の文人、学者。B.C.53年~18年。字は子雲。蜀郡成都の人。40過ぎて洛陽に出て、『甘泉賦』『河東賦』『羽猟賦』『長楊賦』を成帝に奏上し、給事黄門郎となった。『前漢書』巻87に「揚雄傳」がある。『太玄經』、『法言』、『方言』などの著作がある。執戟は官名。三国魏の曹植(192~232)の「與楊徳祖書」に「昔揚子雲、先朝執戟之臣耳。猶稱壯夫不爲也。」(昔、揚子雲は、先朝の執戟の臣たるのみ。猶お壮夫は為さざるなりと称す。)とみえる。
○郭弘農(かく こうのう)
郭璞(かく はく)。晋(265~419)の学者。276年~324年。字は景純。『爾雅』、『三蒼』、『方言』、『穆天子傳』、『山海經』などの注釈者として知られる。 『晉書』巻72に伝がある。弘農は、死後に弘農太守を追贈されたため、この名がある。
○爛石 (らんせき)
古生層の水成岩の岩盤が風雨にさらされ、崩れかかったような土地を指すという。
櫟壤(れきじょう)
櫟(レキ)は、『說文に「木也。」、『爾雅』に「櫟、其實梂、橡也。」とあり、ブナ科の落葉高木の橡(くぬぎ)のことで、原注に「櫟字當從石為礫礫」(櫟まさに石に従い礫と為すべし)とあるように、櫟壤とし、礫(レキ)は、『說文』に「小石也。」とあり、礫質土壌のこと。
○黄土(おうど)
風に運ばれて堆積した、淡黄色または灰黄色の微砂や粘土。こうど。
○藝而不實
藝(げい)は、植える、種をまく。孟子(B.C.372?~B.C.289)の『孟子』に 「后稷教民稼穡、樹藝五穀」(后稷は民に稼穡を教え、五穀を樹芸す。)とある。
○罕(かん)
爾雅』釋詁に「希寡鮮、罕也。」、『爾雅』註に「罕亦希也。」とあり、稀(まれ)、めったにない。
○种(チュウ)
周禮』に「其畜宜五擾、其谷宜五种。」とあり、植物の種子。種。また種をまく。
○結瘕疾。
瘕(カ)は、『說文』に「女病也。」、『集韻』に「腹中久病。」、『正字通』に「癥瘕、腹中積塊堅者曰癥、有物形曰瘕。」、『方言』に「腹中雖硬、忽聚忽散、無有常準、謂之瘕。言病瘕而未及癥也。」とあり、腫瘤(しこり)のことで、腹中に腫瘤が聚まり、その場所が一定していて徴(しるし)があるものを「癥」、腫瘤が聚まり、その場所が一定せずに假(かり)に現われるものを「瘕」とする。
○醍醐(だいご)
『涅槃經』に「譬如從牛出乳。從乳出酪。從酪出生酥。從生酥出熟酥。從熟酥出醍醐。醍醐最上。若有服者眾病皆除。所有諸藥悉入其中。」(譬へば牛より乳が出る如く、乳より酪が出、酪より生酥が出、生酥より熟酥が出、熟酥より醍醐が出る。醍醐が最上なり。若し服する者あらば衆病皆除く。諸薬有する所悉く其の中に入る。)とあり、『本草綱目』 に「(弘景曰)佛書称乳成酪酪成酥酥成醍醐色黄白作餅甚甘肥是也(恭曰)醍醐出酥中乃酥之精液也好酥一石有三四升醍醐(中略)(宗〓曰)如油者為醍醐熬之即出不可多得極甘美用處亦少 (學曰)醍醐乃酪之漿凡用以重綿濾過銅器煎三両沸用(藏器曰)此物性滑物盛皆透」(弘景曰く、仏書称す。乳が酪と成り、酪が酥と成り、酥が醍醐と成る。色は黄白にして餅を作る。甚だ甘肥是なり。恭曰く、醍醐、酥中より出で乃ち酥の精液なり、好酥一石に三四升の醍醐あり。宗〓曰く、油の如きものを醍醐と為す。之を熬し即ち出る、多くを得がたし。極く甘美なり。用いる処亦た少し。学曰く、醍醐乃ち酪の漿、凡そ重ねし綿を以って濾過し銅器で三両沸して用いる。藏器曰く、此の物性は滑物盛にして皆透む。) とあり、バター又はクリームから乳脂肪以外の成分を除去したバターオイルのことという。
○甘露(かんろ)
老子』に「道常無名樸。雖小、天下不敢臣。侯王若能守之、萬物將自賓。天地相合、以降甘露、民莫之令而自均」(道は常に無名の樸なり。小なりといえども、天下あえて臣とせず。侯王もし能く之を守れば、万物まさに自ずから賓せんとす。天地は相合し、以って甘露を降し、民はこれに令することなくしておのずから均し。)とあり、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。
○卉莽(きぼう)
卉(キ)は、『說文』に「艸之緫名也。」とあり、莽(ボウ)は、『方言』に「草、南楚之閒謂之莽。」とある。野草。
○人參(にんじん)
植物名。朝鮮人参。高麗人参。ウコギ科の多年草。朝鮮・中国が原産。高さ約60センチ。茎頂部に5枚ほどの小葉からなる手のひら状の複葉掌状複葉を数個輪生する。夏、茎頂に散形花序を出し淡緑黄色の小花を多数つける。主根は太く先が分岐し人の形をなし、白色で、漢方では強壮剤とする。御種人参(おたねにんじん)。地精。 人参の語は、前漢の史游(しゆう)の『急就篇』(きゅうしゅうへん)に初出。
○上党
唐代の郡名。現在の山西省長治市。『新唐書』志第二十九地理三に「潞州上黨郡。大都督府。土貢、貲布、人葰、石蜜、墨。戶六萬八千三百九十一、口三十八萬八千六百六十一。縣十。有府一,曰戡黎。上黨、望。有啟聖宮、本飛龍、玄宗故第、開元十一年置、後又更名。有瑞閣、有五龍山、馬駒山。壺關、上。武德四年析上黨置。長子、緊。屯留、上。有三嵕山。潞城、上。天祐二年更曰潞子。襄垣、上。武德元年以襄垣、黎城、涉、銅鞮、鄉置韓州、貞觀十七年州廢、縣皆來屬。東有井谷故關。黎城、上。天祐二年更曰黎亭。有銅山。東有壺口故關。涉、中。有鐵。銅鞮、上。武德三年析置甲水縣、隸韓州、九年省。永徽六年隸沁州。顯慶四年來屬。武鄉。中。本鄉、武后更名武鄉、神龍元年復故名、尋又曰武鄉。北有昂車關。」とあり、人参が貢納されていたことが載る。
○百濟(くだら)
朝鮮半島南西部にあった国(B.C.18年? ~ 660年もしくは346年 ~ 660年)。『舊唐書』に「百濟國、本亦扶餘之別種、嘗爲馬韓故地、在京師東六千二百里、處大海之北、小海之南。東北至新羅、西渡海至越州、南渡海至倭國。北渡海至高麗。」(百済国、本は亦た扶余の別種にして、嘗て馬韓を故地と為す。京師の東六千二百里、大海の北、小海の南に処り。東北は新羅に至り、西に海を渡れば越州に至り、南に海を渡れば倭国に至る。北に海を渡れば高句麗に至る。)とあり、唐の高宗の顕慶5年(660)唐によって滅ぼされた。 
○新羅(しらぎ)
朝鮮半島南東部にあった国(B.C.57年~ 935年)。 『舊唐書』に「新羅國 、本弁韓之苗裔也。其國在漢時樂浪之地、東及南方倶限大海、西接百濟、北鄰高麗。東西千里、南北二千里。」(新羅国、本は弁韓の苗裔なり。其の国は漢時の楽浪の地に在り、東および南方は大海を限とし、西は百済に接し、北は高麗に隣す。東西に千里、南北に二千里。)とある。
○高麗(こうらい)
高句麗(こうくり)。満州から朝鮮半島北部にかけてあった国(B.C.37年?~ 668年)。 『舊唐書』に 「高麗者、出自扶餘之別種也。其国都於平壌城、即漢樂浪郡之故地、在京師東五千一百里。東渡海里於新羅、西北渡遼水至于營州、南渡海至于百濟、北至靺鞨。東西三千一百里、南北二千里。」(高麗は、出自扶餘の別種なり。其の国都は平壌城にあって、即ち漢の楽浪郡の故地なり、京師の東五千一百里に在り。東に海里を渡れば新羅に、西北は遼水を渡れば于営州に至り、南は海を渡れば百済に至る、北は靺鞨に至る。東西に三千一百里、南北に二千里。)とあり、唐の高宗の総章元年(668)唐によって滅ぼされた。
○澤州(たくしゅう)
唐代の州名。現在の山西省晋城市。『新唐書』志第二十九地理三に「澤州高平郡。上。本長平郡、治濩澤、武德八年徙治端氏、貞觀元年徙治晉城、天寶元年更郡名。土貢、人葰、石英、野雞。戶二萬七千八百二十二、口十五萬七千九十。縣六、有府五、曰丹川、永固、安平、沁水、白澗。晉城、上。本丹川、武德元年置建州。三年析丹川置晉城以隸之。六年州廢、隸蓋州、徙蓋州來治。九年省丹川、蓋城入晉城。貞觀元年州廢、以晉城、高平、陵川來屬。天祐二年更曰丹川。南有天井關、一名太行關。端氏、中。有隗山。陵川、中。陽城、中。本濩澤、天寶元年更名、天祐二年更曰濩澤。有銅、有錫、有鐵。沁水、中。高平。上。本隋長平郡、武德元年曰蓋州、領高平、丹川、陵川三縣、並析置蓋城縣以隸之。有泫水、一曰丹水、貞元元年、令明濟引入城、號甘泉、有省冤穀、本殺谷、玄宗幸潞州、過之、因更名、北有長平關。」とある。
○易州(えきしゅう)
唐代の州名。現在の河北省易県。『新唐書』志第二十九地理三に「易州上穀郡、上。土貢、紬、綿、墨。戶四萬四千二百三十、口二十五萬八千七百七十九。縣六、有府九、曰遂城、安義、脩武、德行、新安、古亭、武遂、長樂、龍水。有高陽軍。易、上。容城、上。本遒。武德五年、以容城及幽州之固安、歸義置北義州。貞觀元年州廢、縣還故屬。聖曆二年以拒契丹更名全忠、神龍三年複故名、天寶元年又更名。遂城、上。淶水、上。滿城,中。本永樂、天寶元年更名。有郎山。有永清軍、貞元十五年置。五回。中下。開元二十三年析易置、並置樓亭、板城二縣。天寶後省。」とある。
○ 幽州(ゆうしゅう)
唐代の州名。現在の北京市大興県。『新唐書』志第二十九地理三に「幽州范陽郡、大都督府。本涿郡、天寶元年更名。土貢、綾、綿、絹、角弓、人葰、栗。戶六萬七千二百四十三、口三十七萬一千三百一十二。縣九、有府十四、曰呂平、涿城、德聞、潞城、樂上、清化、洪源、良鄉、開福、政和、停驂、柘河、良杜、咸寧。城內有經略軍、又有納降軍、本納降守捉城、故丁零川也。西南有安塞軍、有赫連城。有宗王、乾澗、殄寇三鎮城,召堆、車坊、蒿城、河旁四戍。薊、望。天寶元年析置廣寧縣、三載省。有鐵、有故隋臨朔宮。幽都、望。本薊縣地。隋于營州之境汝羅故城置遼西郡、以處粟末靺鞨降人。武德元年曰燕州、領縣三、遼西、瀘河、懷遠。土貢、豹尾。是年,省滬河。六年自營州遷於幽州城中、以首領世襲刺史。貞觀元年省懷遠。開元二十五年徙治幽州北桃穀山。天寶元年曰歸德郡。戶二千四十五、口萬一千六百三。建中二年為硃滔所滅、因廢為縣。廣平、上。天寶元年析薊置、三載省、至德後複置。潞、上。武德二年自無終徙漁陽郡於此、置玄州、領潞、漁陽、並置臨溝縣。貞觀元年州廢、省臨溝、無終、以潞、漁陽來屬。武清、上。本雍奴、天寶元年更名。永清、緊。本武隆、如意元年析安次置、景雲元年曰會昌、天寶元年更名。安次、上。良鄉、望。聖曆元年曰固節、神龍元年複故名、有大防山。昌平。望。北十五裏有軍都陘、西北三十五裏有納款關、即居庸故關、亦謂之軍都關、其北有防禦軍、古夏陽川也、有狼山。」とある。
澶州(だんしゅう)
唐代の州名。現在の北京市懷柔県。 『新唐書』志第二十九地理三に「檀州密雲郡、本安樂郡、天寶元年更名。土貢、人葰、麝香。戶六千六十四、口三萬二百四十六。縣二、有威武軍、萬歲通天元年置、本漁陽、開元十九年更名、又有鎮遠軍、故黑城川也。有三叉城、橫山城、米城、有大王、北來、保要、鹿固、赤城、邀虜、石子〓(鹵亢)七鎮、有臨河、黃崖二戍。密雲、中。有隗山。燕樂。中。東北百八十五裏有東軍、北口二守捉。北口、長城口也。又北八百里有吐護真河、奚王衙帳也。 」とある。
○薺苨(せいでい)
植物名。蕎麦菜(そばな)キキョウ科の多年草。山地に生え、高さ50~100cm。葉は互生し卵形ないし狭卵形で軟らかく、若葉を食用。秋、茎頂に紫色の細長い鐘形花を多数下垂。和名のソバナは、山の険しい道を岨(そば)といい岨に生えるところから「岨菜」という説と、蕎麦(そば)のように軟らかな葉から「蕎麦菜」とする説がある。明の李時珍(1518~1593) の『本草綱目』に「薺苨、根莖都似人參而葉小異、根味甜。」(薺苨、根茎すべて人参に似て、葉は小異、根の味は甜し。)とあり、形が人参に似る。
○六疾(ろくしつ)
疾(シツ)は、『說文』に「病也。」とあり、病気のこと。『左傳』に「天有六氣、降生五味、發為五色、徵為五聲。淫生六疾。六氣曰陰、陽、風、雨、晦、明也、分為四時、序為五節、過則為菑、陰淫寒疾、陽淫熱疾、風淫末疾、雨淫腹疾、晦淫惑疾、明淫心疾。」(天に六気ありて、降りて五味を生じ、発して五色と為り、徴して五声と為る。淫すれば六疾を生ず。六気曰く、陰・陽・風・雨・晦・明なり、分れて四時を為し、序して五節を為す、過ぐれば則ち菑を為す、陰淫すれば寒疾し、陽淫すれば熱疾し、風淫すれば末疾し、雨淫すれば腹疾し、晦淫すれば惑疾し、明淫すれば心疾す。)とある。