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漢作(かんさく) |
加藤四郎左衛門景正が、唐から持ち帰った土と薬で焼いたと伝えられる茶入を唐物と称するのにたいし、中国から請来されたとされる茶入を漢作唐物と称する。『古今名物類聚』に「誠に唐土より渡たるものをば漢といふ。これは重宝せぬものなり、唐物と混ずべからず。」とある。漢作唐物と唐物の分類は曖昧で主に伝来に依っているが、漢作唐物は型造りで胴継ぎしたところに継目を押さえた箆跡が胴紐となって残っているものが多く見立によるもの、唐物は轆轤仕上で中国へ注文して作らせたものとする説もある。 |
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唐物(からもの) |
瀬戸の加藤四郎左衛門景正が、唐から持ち帰った土と薬で、瀬戸瓶子窯で焼いたと伝えられる茶入を唐物と称する。『古今名物類聚』に「小壷を焼ことは元祖藤四郎をもつて鼻祖とする。藤四郎本名加藤四郎左衛門といふ。藤四郎は上下をはぶきて呼たるなるべし。後堀河帝貞応二年、永平寺の開山道元禅師に随て入唐し、唐土に在る事五年、陶器の法を伝得て、安貞元年八月帰朝す。唐土の土と薬と携帰りて、初て尾州瓶子窯にて焼たるを唐物と称す。倭土和薬にてやきたるを古瀬戸といふ。」、「土 朱、紫、鼠色、浅黄、白、焼にて変色あり。薬 下薬飴、上薬黒黄、白薬を蛇蝎と云。糸切 逆切也、細かにして見事也。一体薄造りにして掛目軽し。薬 艶能無比類物也、黄薬を文琳薬と云」とある。ただ、『茶道筌蹄』に「藤四郎入唐後を唐物といふ説あれども甚疑はし」あるように伝説にすぎないとの説もあり、唐物は中国へ注文して作らせたものとする説もある。 |
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古瀬戸(こせと) |
瀬戸茶入の窯分けの一。瀬戸の加藤四郎左衛門景正が日本の土と釉薬で焼いたと伝えられる茶入を称する。もとは「ふるせと」と唱えた。『古今名物類聚』に「小壷を焼ことは元祖藤四郎をもつて鼻祖とする。藤四郎本名加藤四郎左衛門といふ。藤四郎は上下をはぶきて呼たるなるべし。後堀河帝貞応二年、永平寺の開山道元禅師に随て入唐し、唐土に在る事五年、陶器の法を伝得て、安貞元年八月帰朝す。唐土の土と薬と携帰りて、初て尾州瓶子窯にて焼たるを唐物と称す。倭土和薬にてやきたるを古瀬戸といふ。古瀬戸は総名なり。大形に出来たるを大瀬戸と云なり。此手小瀬戸に異なり、小瀬戸といふは小形に出来たるをいふ。此手大瀬戸に異なり、入唐以前やきたるを、口兀、厚手、掘出し手といふ。大名物は古瀬戸唐物なり。誠に唐土より渡たるものをば漢といふ。これは重宝せぬものなり、唐物と混ずべからず。掘出し手といふは、出来悪敷とて、一窯土中に埋みたりしを後に掘出したりとなり。一説には小堀公時代に掘出したるともいふ。総て入唐以前の作は、出来は田夫にて下作に見ゆるなり。古瀬戸煎餅手といふあり、これは何れの窯よりもいづる。窯のうちにて火気つよくあたり、上薬かせ、地土ふくれ出来たるものなり。後唐の土すくなく成たるによりて、和の土を合てやきたるを春慶といふ。春慶は藤四郎が法名なり。」、「土 白、浅黄、なまり色に見るは白也。薬 下薬柿、上薬黒、大瀬戸には黄くすりもあり。糸切 細か也。一体薄造にて似唐物上とす、厚作なるを下とす、大瀬戸は大きなるを云、作薄手にして上品也」、とある。『茶道筌蹄』に「藤四郎入唐前を古瀬戸と云ふ、口はげ、厚手、掘出手、此三品に限る、皆瓶子窯也、後道元禅師入唐の節随て渡唐し底を下にして焼事を学ひ来りしゆへ口に薬かヽり姿もよくできる也、入唐まではやき様の鍛錬なく口を下にしてやきしゆへ口はげて薬かヽらす相もあしく手厚にふつヽか也」とあり、藤四郎が入唐する前の作を古瀬戸とする。藤四郎の隠居後の作を「春慶」という。。 |
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春慶(しゅんけい) |
瀬戸茶入の窯分けの一。加藤四郎左衛門景正が剃髪して春慶の法名を用いるようになってからの作で、唐から持ち帰った土と日本の土を合せて焼いた茶入と云われる。『古今名物類聚』に「後唐の土すくなく成たるによりて、和の土を合てやきたるを春慶といふ。春慶は藤四郎が法名なり。」、「土 浅黄、紫。薬 下薬柿、上薬共色或黄黒。糸切 丸糸切也。一体薄造にて上作也、唐物よりは一段上作にて肩なと刃の如く、姿形ち無類なるもの也」とある。 |
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真中古(まちゅうこ) |
瀬戸茶入の窯分けの一。二代藤四郎基通の作と伝えられる茶入を称する。「藤四郎」ともいう。『古今名物類聚』に「二代目の藤四郎作を真中古といふ。藤四郎作と唱るは二代めをさす也。元祖を古瀬戸と称し、二代目を藤四郎と称するは、同名二人つづきたる故、混ぜざるために唱分たるなり。藤四郎春慶も二代めなり。」、「土 鼠、浅黄、白、薄赤。薬 下薬柿、上薬黒或は黄色にあり、青薬もあり。糸切 丸糸切、本糸切あり。一体上作也、古瀬戸に似たるもあり、中古物のこときもあり、総体古風に見えて見事なるもの也」とある。真中古には、野田手、橋姫手、思河手、大瓶手、大覚寺手、面取手、小川手、藤四郎、柳藤四郎、糸目藤四郎、虫咀藤四郎などがある。なお二代藤四郎の隠居後の作は「藤四郎春慶」と称する。 |
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藤四郎春慶(とうしろうしゅんけい) |
瀬戸茶入の窯分けの一。二代藤四郎基通の隠居後の作と伝えられる茶入を称する。『古今名物類聚』に「二代目の藤四郎作を真中古といふ。藤四郎作と唱るは二代めをさす也。元祖を古瀬戸と称し、二代目を藤四郎と称するは、同名二人つづきたる故、混ぜざるために唱分たるなり。藤四郎春慶も二代めなり。」、「土 白、鼠、紫、浅黄。薬 春慶同前。糸切 春慶同前。総体春慶に類して地くすりサラサラと見ゆるものにて上品也」とある。藤四郎春慶には、雪柳手 塞手 〆切手などがある。 |
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金華山(きんかざん) |
瀬戸茶入の窯分けの一。三代藤四郎景国の作と伝えられる茶入を称する。「中古物」ともいう。『古今名物類聚』に「三代め藤次郎、是を中古物といふ。金華山窯の作者なり。」、「土 浅黄、白、紫。薬 下薬柿、上薬黒或黄、黄薬は藤浪にかきる。糸切 丸糸切、本切二色あり。一体は藤四郎より上品也、金色沢山にして代々之内金花窯見事也」とある。金華山には、飛鳥川手、玉柏手、瀧浪手、生海鼠手、大津手、広沢手、真如堂手、盤余野手、二見手、藤浪手、天目手などがある。 |
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破風窯(はふがま) |
瀬戸茶入の窯分けの一。四代藤四郎政連の作と伝えられる茶入を称する。『古今名物類聚』に「四代め藤三郎、是をも中古物といふ。破風窯の作者なり。黄薬といふも破風窯より出たるものなり。」、「土 白薄赤。薬 下薬柿、上薬黄或黒。糸切 本糸切。一体上作にて薬溜り破風に出来る故為銘、山土は胴〆米市是也」とある。破風窯には、翁手、凡手、口広手、渋紙手、皆の川手、音羽手、正木手、橋立手、玉川手、米市手、市場手などがある。 |
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後窯(のちがま) |
瀬戸茶入の窯分けの一。四代藤四郎より後の瀬戸作と伝えられる茶入を称する。京都で焼かれた京瀬戸ともいわれる茶入も含まれる。『古今名物類聚』に「後窯と称するは、坊主手、宗伯、正意、山道、茶臼屋、源十郎、姉、利休、鳴見、捻貫、八ツ橋、伊勢手、萬右衛門等なり。又遠州公時代に、新兵衛、江存、茂右衛門、吉兵衛等あり。」、「土 浅黄、白、赤みある鼠色。薬 上薬色々あり、下薬各柿、石はせ和季め等其作其作変。糸切 丸糸切、本糸切。一体破風に似て箆目ある品多、下作にて、織部、利休、正意等さひたる形多、万右衛門如春慶、宗伯国やきに類、姉は飛鳥川真如堂を学、土薬いつれも新く見ゆる物也」とある。後窯には、利休窯、織部窯、正意、万右衛門、新兵衛、宗伯、吉兵衛、茂右衛門、源十郎、鳴海窯などがある。 |
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国焼(くにやき) |
瀬戸窯以外の地で焼いた茶入を称する。『古今名物類聚』に「国焼と唱るものは、薩摩、高取、肥後、丹波、膳所、唐津、備前、伊賀、信楽、御室なり。祖母懐は美濃の国焼なり。大窯物といふは瀬戸なれども、至て後のものにて、漸百年余りになるもの也。右後窯以下国焼にも遠州名物数多し。」、「土 国々により様々あり。薬 下薬上薬其国により色々。糸切 順逆丸糸切あり。一体下作にて中にも伊賀・信楽・唐津は見苦、高取・膳所・丹波上作也、各瀬戸窯に異り」とある。国焼には、唐津、祖母懐、備前、伊部、薩摩、高取、膳所、丹波、信楽、志戸絽などがある。 |
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口兀手(くちはげで) |
瀬戸茶入の手分けの一。古瀬戸。初代藤四郎景正が入唐する前に瀬戸で焼いたと伝えられる茶入を称する。口を下にして伏せ焼きにしたため、口縁に釉薬が掛らないため口兀の名がある。厚作りで大振りなものが多い。『古今名物類聚』に「入唐以前やきたるを、口兀、厚手、掘出し手といふ。」、『茶道筌蹄』に「藤四郎入唐前を古瀬戸と云ふ、口はげ、厚手、掘出手、此三品に限る、皆瓶子窯也、後道元禅師入唐の節随て渡唐し底を下にして焼事を学ひ来りしゆへ口に薬かヽり姿もよくできる也、入唐まではやき様の鍛錬なく口を下にしてやきしゆへ口はげて薬かヽらす相もあしく手厚にふつヽか也」、別府吉兵衛『茶入の次第』に「口兀手又は面取などは茶の器にあらず、外の器に用ひしもの也、最初の物なり、厚手とも口兀とも云ふ」とある。 |
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掘出手(ほりだしで) |
瀬戸茶入の手分けの一。古瀬戸。『古今名物類聚』に「入唐以前やきたるを、口兀、厚手、掘出し手といふ。」、「掘出し手といふは、出来悪敷とて、一窯土中に埋みたりしを後に掘出したりとなり。一説には小堀公時代に掘出したるともいふ。」、『本朝陶器攷證』に「掘出手、瀬戸赤津窯にて焼たる茶入、或は響或は割或は取り付け或は貫等の有品を、山谷へ捨置しなり、自儘に晒荒古くなり、土薬見事になる物なり、近年谷底より掘出し用ゆ、無疵なる茶入はなし、尤此手の疵は、すこしもくるしからずと云」とある。 |
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朝日手(あさひで) |
瀬戸茶入の手分けの一。春慶。初代藤四郎が美濃の朝日で焼いたといわれる茶入を称する。「朝日春慶」、「朝日手春慶」ともいう。作行は、轆轤による薄作りで、肩がカッキリと衝き、胴が丸く膨らんでいる。釉薬は、春慶独特の薄柿色や栗色の下薬に黒釉薬が掛った渋い茶色で、黄飴釉が幽かに飛ぶ。この釉飛びの少ないものが賞玩されるという。『本朝陶器攷證』に「朝日春慶、一とせ美濃国朝日と云所にて、此一通りを焼ひろめたりと云、一説、本朝日城にかたどり、薬の色合に、志のヽめに朝日のかゞやくやうに火間ある故なりしとも云、是見所の大事、巧者の秘密なりと云、見事なる茶入、たぐひすくなき物なり、土浅黄色、但し古き故に薄赤く見ゆる、丸糸切尋常なり」とある。朝日手には、淀肩衝、池島肩衝、木津屋、中路などがある。 |
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野田手(のだで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「野田」。本歌の「野田」が明和9年(1772)焼失したため「面影」が本歌に準じている。野田手には、野田、面影、猿若、宮城野、月迫、河菜草、山桜などがある。 |
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橋姫手(はしひめで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「橋姫」。別府吉兵衛『茶入の次第』に「底面取手 今云橋姫手 但玉川と云 沙弥左七が孫右近 仏師也」とある。橋姫手には、橋姫、恐、布引などがある。 |
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思河手(おもいがわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「思河」。思河手には、思河、岩浪などがある。 |
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大瓶手(おおかめで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「常夏」。山城伏見の大瓶谷から出たためとする説と、その姿が大瓶に似ているという説がある。また「狼」とも書いて、黄釉のなだれが狼の毛色を思わせるためともいわれる。畳付は渦糸切。大瓶手には、常夏、鈴鹿山、飯道寺などがある。 |
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大覚寺手(だいかくじで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「泡沫」。本歌「泡沫」が京都嵯峨大覚寺門跡から出たところからこの名がある。赤味を帯びた土を用い、厚手で、甑が高く、少し梨地がかった柿色釉の地に、黒や黄釉が交錯して景色をなしている。畳付は渦糸切が多い。大覚寺手には、泡沫、比丘貞、初雁、玉村などがある。 |
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面取手(めんとりで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「面取」。肩や底廻りに面取りを施したもの。光沢のある柿金気色や黒飴釉に黄釉がなだれて景色をなしたものが多い。面取手には、面取、吸江、佐久間面取、染色、転合庵、面取引貯などがある。同手で肩に面取りを施してないものを面取面不取、あるいは単に面不取と称する。 |
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小川手(おがわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「小川」。撫肩で胴が張り、流れ釉の景色が変化に富んでいる。小川手には、小川、清水、故郷、初風などがある。 |
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藤四郎手(とうしろうで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。真中古では、いずれの手にも属さないものを藤四郎手で総称している。藤四郎手には、藤四郎肩衝、藤四郎肩衝、木の本、薄紅葉などがある。 |
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柳藤四郎手(やなぎとうしろうで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。本歌「清水」。土はやや青味を帯びた白色土で、口の捻返しが浅く、釉は黄茶色釉に濃墨色の釉が掛り、なだれて釉溜が黒色を呈している。柳藤四郎手には、清水、青柳、春山蛙声などがある。 |
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糸目藤四郎手(いとめとうしろうで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。薄作りで胴に糸目があるもの。『本朝陶器攷證』に「糸目藤四郎、此茶入はぶりぶり形多し、薄手にして恰好よし、茶入の胴に糸目あり、上々の作なり、すくなし、下薬柿色多し、渇たる栗色薬もあり、上薬むらむらと、黒雲の如くむら立ちてかヽる、又地薬紫薄柿、上に薄黒の刷毛目あるも有」とある。糸目藤四郎手には、糸目藤四郎などがある。 |
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虫咀藤四郎手(むしくいとうしろうで) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。釉中に虫の喰ったような斑紋のあるもの。虫咀藤四郎手には、虫咀藤四郎などがある。 |
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花藤四郎(はなとうしろう) |
瀬戸茶入の手分けの一。真中古。『本朝陶器攷證』に「花藤四郎、口のまはりに菊のおき紋あり、或は梅八笹の葉かやらの物を、紋にしたる故に、花藤四郎と云なり、又黄藤四郎と云一通りあり、是は地黄飴薬にて艶よく、黄薬飴色ぐすり多く交り、むら雲の如くかヽれり」とある。 |
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雪柳手(ゆきやなぎで) |
瀬戸茶入の手分けの一。藤四郎春慶。本歌「雪柳」。幾筋にもなだれた釉が雪の積もった柳を思わせるためこの名がある。土は濃鼠色あるいは赤色で、胴に糸目状の轆轤目が廻り、口の捻り返しは薄く尋常、畳付の糸切も細く尋常。 |
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塞手(こしじで) |
瀬戸茶入の手分けの一。藤四郎春慶。本歌「塞」。塞手には、塞、常如院、下枝などがある。 |
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〆切手(しめきりで) |
瀬戸茶入の手分けの一。藤四郎春慶。本歌「〆切」。口作に締め括りがあるところからこの名がある。 |
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飛鳥川手(あすかがわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「飛鳥川」。いずれも肩衝で、黒釉が肩を取巻いているので肩黒手の別名もある。別府吉兵衛『茶入の次第』に「肩黒手 今云飛鳥川 沙弥左七と云京都油小路七條下る所居住仏師安阿の末と云」、『大成陶誌』に「沙弥左七 仏師安阿弥の末にして仏師也、京都油小路七條下ルに住す。文明頃の人、肩黒手即飛鳥川黄薬を発明すと云ふ。」とある。飛鳥川手には、飛鳥川、鷹羽屋、木枯、三笠山、疵肩衝などがある。 |
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玉柏手(たまかしわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「玉柏」。胴が少し締まり上下のつりあいのとれた肩衝形で、土は薄赤色に少し緋色があり、光沢よく梨地のある柿色の下釉の上に黒釉が一面に掛る。玉柏手には、玉柏、常盤、村雨、玉藻、増鏡、一本、葎、谷陰などがある。 |
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瀧浪手(たきなみで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「瀧浪」。青江手ともいう。胴が締まり、裾でやや張った姿が約束。瀧浪手には、瀧浪、青江、面影、志賀、白浪、村上肩衝、浜松などがある。 |
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生海鼠手(なまこで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「三輪山」。別府吉兵衛『茶入の次第』に「久野焼 今海鼠手 久野弥兵衛上細工人藤四郎が子孫にて焼上手也」とある。生海鼠手には、三輪山、木本、岩藤、深美、桑山、薬師、妹背山、浪花などがある。 |
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大津手(おおつで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「大津」。大津手には、大津、打出、白露、松島などがある。 |
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広沢手(ひろさわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「広沢」。口が少し延び、肩が衝き、裾が張り、盆返しがあるのが特徴で、広沢体と称する。下釉は濃柿色に梨地があり釉に小石が含まれているように見え、これを沙羅釉と呼んで、広沢手の約束となっている。一説に文明(1469〜1487)頃の久野某の作といわれる。広沢手には、広沢、春雨、呉竹、松陰などがある。 |
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真如堂手(しんにょどうで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「真如堂」。真如堂手には、真如堂、神楽岡、響の灘、鏡河、藤重、鏡山、龍田、玉柳などがある。 |
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盤余野手(いわれので) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「磐余野」。口が開き、捻返しが浅く、甑がくびれて肩が廂状をなす。名物としては本歌が知られるだけだが一手をなしている。広沢手に似ているが広沢手がやや角ばっているのに対し、ふっくらした味がある。 |
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二見手(ふたみで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「二見」。二見手には、二見、即色などがある。 |
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藤浪手(ふじなみで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。本歌「藤浪」。 |
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天目手(てんもくで) |
瀬戸茶入の手分けの一。金華山。『本朝陶器攷證』に「天目手 瀬戸の天目手とて、建盞の天目を見る如く、薬留りあつく、銀びかりつやつやと、黒き柿蛇蝎のやうなる薬、むらむらと入まじり、手あつく見ゆるものなり」とある。天目手には、小茄子などがある。 |
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翁手(おきなで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「翁」。やや丈のつまった円筒形で、轆轤目が見え、黄釉がなだれている。翁手には、翁、増鏡などがある。 |
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凡手(およそで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「凡」。口作は捻返しがあり、廂肩で、尻のほうが膨らんだ釣鐘形で、形が凡の字に似ており、糸切は細い。土は赤色で細かく、総体に金気釉で、黄釉のなだれがある。凡手には、凡、蓬生、撰屑、玉津島などがある。 |
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口広手(くちひろで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「天筒山」。口が広いところからこの名がある。口が広く、捻返しが浅く、甑が低く、肩が衝き、薄手の精作が多い。土は黒っぽいかわらけ土で、濃い飴色釉の上に薄墨色釉が掛り、光沢のある濃黄釉がなだれている。口広手には、天筒山、豊後口広、紹高、稲葉口広、口広などがある。 |
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渋紙手(しぶがみで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「潮路庵」。鉄釉が胎質の赤色と融和して渋紙のようにみえるところからこの名がある。『本朝陶器攷證』に「渋紙手 たぐひすくなし 薬立を見立喩て云なり、世間に渋紙と云茶入は、俵窯を云なり」とある。渋紙手には、潮路庵、筧、山桜、芦垣、藻塩、垣根、藤袴などがある。 |
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皆の川手(みなのがわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「皆の河」。皆の川手には、皆の河、忘水、玉霰などがある。 |
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音羽手(おとわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「音羽山」。口作は捻返しがよく、甑は低く、胴が膨らんだ肩衝形。薄赤ないし浅黄色の土で、釉薬は普通下釉が濃柿色で、その上に黒釉に黄飴釉が交じって掛り、黄釉のなだれたものもある。音羽手には、音羽山、兒手柏などがある。 |
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正木手(まさきで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「正木」。正木手には、正木、大正木などがある。 |
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橋立手(はしだてで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「橋立」。 |
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玉川手(たまがわで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「玉川」。 |
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米市手(よねいちで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「米市」。胴〆の俵型で、腰に轆轤目が見られ、畳付は本糸切あるいは輪糸切である。釉なだれが瀧のようになったものが多く、いずれも瀧に縁のある銘がついている。『本朝陶器攷證』に「米一手 形米一狂言の俵に似てる故に、名付る渦糸切」、「俵屋窯 利休時代尾州にあり、又米一は古き俵窯の作と云」、別府吉兵衛『茶入の次第』に「胴〆胴高など、信濃窯胴〆は二流あり、天正の比伊勢俵窯にて焼く、米市と云ふ。」とある。米市手には、米市、布引、戸灘瀬、箕面、時雨などがある。 |
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市場手(いちばで) |
瀬戸茶入の手分けの一。破風窯。本歌「市場」。本歌の市場は、北国の市場で見出されたことに因み小堀遠州が命銘したといわれるが、存滅不明。やや細手で胴の中央が膨らんで裾にかけて次第に窪んでいる。胴紐、糸切とも鮮明なものが多い。『本朝陶器攷證』に「此茶入は、或人北国の市町にて求たり、則銘となる、是に似たるを寺の内手とも云、古歌に、よの中は市のかり場の一さわぎつらつらと見て跡とてもなし、此歌出所未考」とある。市場手には、忘水、宮島、卯花、月草などがある。 |
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利休窯(りゆうがま) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。千利休の好みにより瀬戸で焼かれたといわれる茶入。利休焼、利休瀬戸ともいう。草間和楽『茶器名物図彙』に「利休瀬戸 是は利休物数寄にて瀬戸窯にて焼出す、土薄く、濃き柿色薬に黒薬等のなだれあり、糸切板起しにて、凡そせい高く格好よき肩衝なり、必ず縦にヘラメあるが其約束なり、谷川、堺屋、地蔵、名器なり」、『万宝全書』に「利休焼 土薄赤色なり、糸切吉、大方板起底多き物也、口造捻返賤造也、薬組は色々様々なり、體格好は長高き肩衝多し、必ず箆目あるなり、利休物数寄にて此茶入を焼と云へり」とある。利休窯には、地蔵、谷川、因幡堂、鏡山、育王山などがある。 |
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織部窯(おりべがま) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。古田織部の指導を受けて瀬戸で焼かれたといわれる茶入。『万宝全書』に「織部焼 土薬利休焼同前也、體格は耳付の茶入に様々の異風有、古田織部物数寄の焼物也、又鳴海織部と云物有、土薄浅黄にて薄手に造り、見事なる茶入一通有、代高し、稀也」とある。織部窯には、澪標、喜撰、不二、山本瓢箪などがある。 |
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正意(しょうい) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『大成陶誌』に「正意 室町四條下ル町に住す、眼科医師堀氏。正意は泉州堺の人、京都に移り住ひて室町四條下ルに住す、利休同時代なり、飴釉にして頽れほんのりと現はるヽものあり、品格最もよし」とある。正意には、初祖、六祖、面壁、岡辺、千草などがある。 |
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万右衛門(まんえもん) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『名物目利聞書』に「萬右衛門 京の人と見えたり、上作にて唐物を似せて名を世にくだせり、世上半分は萬右衛門作の唐物なるべし、されども一日永井信斎老の家臣、佐川田喜六と唱へし人問給ひし頃、自分焼物工夫にて、不似物在しをもらひ来り宗甫見給ひし時、幸大徳寺の江月和尚同座にて、いと面白し秋の頃拾ひしとて落穂と名けられしなり。」、『陶器考』に「万右衛門の茶入にすぐれたる有て遠州落穂と銘せらる、万右エ門に名物は是一つなり、世上に万右エ門か作はすへて落穂と号す、唐ものを写す、竪へら有て厚作なる方なり、うす作のものに万右エ門と云来るは呂宋出来なり」、別府吉兵衛『茶入の次第』に「萬右衛門 唐物摸造」、『大成陶誌』に「萬右エ門は遠州同時代の人、石州侯より賜はりし書簡あるにて知るべし、名物落穂の作あり。一代にて絶ゆ、後万右エ門焼と称し柳馬場三條下るにて茶器を売れるありと、此万工と萬右衛門と同人にあらざるべし」、表千家5代随流斎(1650〜1691)の『延紙ノ書』に「一 新兵衛・吉兵衛・万右衛門、京瀬戸物町にて瀬戸物屋なり、作意にて作り、方々へ焼遣候、利休時代にても可有之や」とある。万右衛門には、落穂、田面、鳥羽田、振鼓、嵐山などがある。 |
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新兵衛(しんべえ) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『茶器名物図彙』に「新兵衛に二代あり、遠州公時代までは初代新兵衛作のみありて、老茄子の外、名も世に聞えず、遠州公時代茶事頻に流行し、侘好き者も多く、遠州公始め其節の二代の新兵衛茶入等好みて焼かせしなり、依之名物となりし茶入は皆二代新兵衛にあり、尤も瓢箪茶入始として、皆其頃の時勢に合せ作りしもの故、夫々出来面白し、初代新兵衛作の間は古風にて其節の時勢に合はず、其故初代新兵衛知る人稀にて、新兵衛は遠州時代の茶入師と思ふ人多し」、「二代新兵衛 此窯に山雀、弁舌、鉢叩、糸柳、空也、侘助、瓢箪等数種あり、又或説に云、京三条東に瀬戸物町と云ふ所に唐物屋新兵衛と云ふ者あり、尾州に往来し焼物を習ひ、京へ帰り茶入類を焼く、寛永、正徳年頃にて二代新兵衛没後、此新兵衛に倣ひ其焼方を以て茶入を製す、同時代故真偽わからず、今新兵衛焼の茶入世に数多あるを以て見れば、右唐物屋作の新兵衛又多かるべし、尤も遠州時代故今名物となりし空也、鉢叩、茶入の類、右唐物屋作なるべきか不詳、右等茶入白土なり、作皆古新兵衛手癖なり」、『大成陶誌』に「新兵衛 三条高倉住、唐物屋糸割符有来氏、佐々竹庵の弟子と云ふ、浦井氏とも云ふ」「新兵衛、有来氏、竹庵に学び後瀬戸に下りて茶入を焼く、呂宋の小壷に倣ひて勝るものあり、世に瀬戸新兵衛と云ふ、其信楽に焼くものを信楽新兵衛、備前に於けるを備前新兵衛と云ふ、窯印は瀬戸のみにして、信楽備前のものに見ず」、『本阿弥行状記』に「新兵衛は、浦井新兵衛と申て、京都の冨家。陶器を作る事名人也。暫く瀬戸に住す。」、表千家5代随流斎(1650〜1691)の『延紙ノ書』に「一 新兵衛・吉兵衛・万右衛門、京瀬戸物町にて瀬戸物屋なり、作意にて作り、方々へ焼遣候、利休時代にても可有之や」とある。新兵衛には、弁舌、山雀、空也、張果郎、侘助、老茄子、遠山、黄初平などがある。 |
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宗伯(そうはく) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『大成陶誌』に「宗伯 元武州川越の者也、文禄の比京都に上り、茶入耳附を焼く、茶入よりも茶碗多し、武州にては伯庵と云ふ、昔の藤二郎が法名を取り直に付しもの也」とある。宗伯には、不聞猿などがある。 |
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吉兵衛(きちべえ) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『茶器名物図彙』に「吉兵衛 是は利休時代とも云へり、京仏光寺烏丸に住し、古瀬戸を専ら似せて業とすと云へり、古瀬戸は作至つて上手なり、利休遠州公時代の内なり、今も吉兵衛焼の似せ物を真の古瀬戸と心得賞玩するもの間々あり」、『名物目利聞書』に「吉兵衛 元江州の産なりしが、瀬戸にても焼申候よし、今京都押小路通り柳馬場東へ入る町に七里市兵衛と云ふ人号を萬屋と云ふ、是吉兵衛の子孫なり、且膳所にて焼物を製し名を国丹焼といひしよし」、『本朝陶器攷證』に「吉兵衛焼 利休時代の作者なり、此焼物は、古瀬戸の贋物を第一心がけたるによりて、自作はあしきなり」、『茶道辨玉集』に「吉兵衛焼 一此焼物も古瀬戸の贋物を第一心掛たるによつて、外の茶入悪き物也、又吉兵衛焼と云て、一通あるといへとも、可用物にてなし」、表千家5代随流斎(1650〜1691)の『延紙ノ書』に「一 新兵衛・吉兵衛・万右衛門、京瀬戸物町にて瀬戸物屋なり、作意にて作り、方々へ焼遣候、利休時代にても可有之や」とある。吉兵衛には、小塩、小久保、深山木などがある。 |
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茂右衛門(もえもん) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『大成陶誌』に「茂右衛門 窯印十。茂右衛門に兄あり弥之助といふ、此人大窯の作者なり、黄釉等を模す、弟茂右衛門を瀬戸に遣して茶入を焼かしむ」とある。茂右衛門には、吉野山などがある。 |
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源十郎(げんじゅうろう) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『大成陶誌』に「源十郎焼 元和年間西京の人源十郎飛騨国大野郡大名田村、江名子組に始めて築窯し、同郡清見村字嘉平林の埴、同村字新田の石に及、吉城郡神岡村字戸谷細江村エミノ石を用ひて焼成す、之を源十郎焼と云ふ、飛騨陶業の創始と云ふ、其身一世にして後継業者なし」、「源十郎 竹屋茶器斎、東六条に住す、宗甫に出入す、伏見両替町に窯を築き国焼と云う、信楽土を用ふ」、『茶器目利聞書』に「源十郎 京都伏見両替町窯を立焼也。地薬薄柿黒薬の頽れ、置方又とも頽、土細か、ざんぐりと本糸切細く、形肩にて張り、裾にてこけ、白鼠土、上作。」、『茶器名物図彙』に「源十郎 器用にて一流ありて誉をとれり、下露、環、有明、白露の名器あり」、別府吉兵衛『茶入の次第』に「竹屋源十郎 茶の湯柄杓其外の道具を売しもの也、東六条のもの、遠州宗甫気に入の小細工、伏見両替町裏に窯を立焼く、国焼と云、土信楽也」、『本朝陶器攷證』に「源十郎焼 利休時代の焼人、新兵衛に劣らざる作者なり」とある。源十郎には、みなの川、有明、環、白露、下露などがある。 |
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鳴海窯(なるみがま) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。古田織部が尾張の鳴海の窯で自分の好みで焼かせたといわれるもの。『茶器名物図彙』に「是も勝重(古田織部の諱なり)物数寄にて尾州鳴海といふ所に窯を建て、茶入数六十六焼かせらるヽと云ふ、則勝重の領所といふ此所の名を呼びて鳴海手といふ、土薄浅黄鼠色にて、下薬薄柿、上薬濃き黄薬にして梨目薬あり」、『茶器目利聞書』に「地薬薄く、又薄薬柿かせ薬の有り、黒薬所々に交り、又黒薬一筋あるも有り、土細かに和らか、本糸切形、下揃又胴の内少しくぼみ有り、稀に円座もあり、上作」とある。鳴海窯には、餓鬼腹などがある。 |
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坊主手(ぼうずで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。「御堂坊主手」、「御堂焼」ともいう。『本朝陶器攷證』に「御堂坊主手 此茶入は稀なるものなり、古瀬戸にまぎるヽものなり、御堂坊主の作なり、又或説に捻り返しなく、坊主頭のやうなるとも云、古瀬戸にまがふと云も、〓〓なるべし上作にあらずとも云」、「御堂焼 是は本願寺宗の坊主也、順斎と云」、『大成陶誌』に「御堂焼 本願寺の僧順斎と云もの焼成す」、「御堂焼、御堂坊主又は坊主手といふ、製作古瀬戸に彷彿たり、種々の茶入あり」とある。 |
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山道手(やまみちで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。利休時代の作で、山道を思わせるくねくねした箆筋があるところからこの名がある。土は浅黄色、あるいはまれに薄赤色で、口の捻り返し、糸切ともよい。やや黒ずんだ薄赤色の下釉に濃黒釉がむらむらと掛っている。『本朝陶器攷證』に「山道手 利休時代、此茶入の手曲として、山路を肩の下、かたにも深々と切るなり、又山道のなきもあり」とある。 |
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茶臼屋(ちゃうすや) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『大成陶誌』に「茶臼屋小兵衛 寺町押小路下ル本能寺前に住す、元は堺の船頭と云ふ」、「茶臼屋小兵衛、又十兵衛、専ら藤四郎春慶の釉に志す」、『本朝陶器攷證』に「茶臼屋焼 京町押小路下ル、本能寺前の物なり、堺にも住居、又京五条にも住居す、大瓶手を多く焼と云、利休時代なり」とある。 |
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姉手(あねで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『本朝陶器攷證』に「姉手 是は藤四郎が後家のよし、依て後家手とも云」、『古今名物類聚』に「姉は飛鳥川真如堂を学」とある。 |
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捻貫手(ねじぬきで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。胴の轆轤目が螺旋状の捻貫(ネジ)の形をしていることからの名で、水指や建水などにもある。『本朝陶器攷證』に「ねじぬきと云は、万器のなに用ゆるなり、鉄砲の筒にねじあり、其名によりていふとぞ」とある。 |
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八橋手(やつはしで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。胴廻りを杜若を思わせる瀬戸釉が取巻いているところから、三河の名勝八橋に見立ててこの名がある。「杜若手」(かきつばたで)ともいう。薄赤色の土で、口の捻返しはよく、糸切は荒いという。 |
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伊勢手(いせで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。伊勢と尾張との国境にあった伊勢窯で焼いたところからこの名がある。春慶作ではないが、形や格好が春慶に似ていることから「伊勢手春慶」ともいう。堅い白色の土に濃柿色釉が掛り、その上に黒釉に黄飴釉が交じって掛り、飛釉が多い。底は丸糸切。一筋なだれのあるものは千種手と称する。 |
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江存(こうぞん) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。『大成陶誌』に「光存 中田川善兵衛と通称す、窯印〓(画像右下) 〓(画像右上)是れは光の字を松葉にくづしたる也」、「光存、又江存、水指等に古備前に擬せしもの多し」、『本朝陶器攷證』に「江存焼 利休時代作者の名なり、底に松葉の形あり」、「江存 〓(画像左上) 〓(画像左下)」、『考陶異説』に「光存 其姓を中田川と云ひ通称を善右衛門と称す。専門陶師にあらざれども茶湯を好み茶器の製法を学べり。其銘は松葉にして極めて稀なり。」とある。 |
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落穂手(おちぼで) |
瀬戸茶入の手分けの一。後窯。万右衛門。本歌「落穂」。やや青味がかった薄白色の土で、多くは腰すぼみの肩衝で、腰に竪箆目があり、薄墨色釉の上に黒釉がムラムラと掛る。『陶器考』に「万右衛門の茶入にすぐれたる有て遠州落穂と銘せらる、万右エ門に名物は是一つなり、世上に万右エ門か作はすへて落穂と号す、唐ものを写す、竪へら有て厚作なる方なり、うす作のものに万右エ門と云来るは呂宋出来なり」、『本朝陶器攷證』に「珍説要録に云、淀の城主の家来、佐川田喜六好みて茶の道をたしなみけるに、いづこともなき、茶入を求得たり、何とやらんしほらしく覚えければ、或時遠州公を招請して見せければ、是は万右衛門の作なりと申されけり、さてさてさやうとは存ぜす廉末に〓、大によろこひけり、銘を付て給はれとたのみたれば、遠州此茶入はひろひ物なれば、落穂と名付給ふべしといはれたり、佐川田喜び、已後落穂とぞいひける、其時の老中堀田相州聞及ばれ、喜六へ所望いたされけり、佐川田やむ事を得ず、相州へ参らせけり、ひろ比物なりとて落穂と名付しを、貰はれしも是非なし、此時天王寺屋慶子所持の茶入、是に似たるやう也ければ、取よせ見せられしと有し故、慶子則とりよせ、遠州公に見せたれば、是同やう万右エ門の作なり、随分大切にいたされよとありければ、慶子何とそ銘を願ひければ田面と名付給ふ、慶子長く家に伝へしと云」とある。落穂手には、落穂、田面、鳥羽田、振鼓などがある。 |
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追覆手(おっかぶりで) |
瀬戸茶入の手分けの一。裾から畳付の内まで釉薬がかかり、土が見えないところからこの名がある。光沢のある柿色釉地に、黒釉がチラチラと漂い、濃い釉なだれが幾筋もある。『本朝陶器攷證』に「追覆(ヲツカブリ)手 此名の事は、畳着底の内迄も薬かヽりて、土の見ゆる茶入はまれなり、夫故に追覆と云」、別府吉兵衛『茶入の次第』に「追覆手 飛藤次郎 大覚寺是等は藤次郎時代にて造 信濃窯にて義元好にて、尾州赤津三郎右衛門追覆を焼、思川と名付、義元秘蔵なりしを、甲州武田信玄、古今集巻物と此茶入を借りて返ず、初は面影手と云、氏実甚惜みたりと云。」とある。 |
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