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登記簿を信じちゃいけない?!

明治17年「地租ニ関スル諸帳簿様式」を制定し「土地台帳」を新規に編成し、戸長役場(市町村役場)が管理することになったが、この台帳には「附属地図」を備え付けることになった。

しかし「地租改正ノ際調製セシ町村地図ハ、各地方ノ便宜ニ任セ技術不慣熟ナル人民ノ手ニ成リシモノナルカ故ニ、概ネ一筆ノ広狭形状等実地ニ適合セス、或ハ脱漏重複又ハ位置ヲ転倒スル等不完備ヲ免カレサルモノ多キ」(大蔵大臣内訓第3890号)

というように、その粗雑さはお上も承知していたようで、明治18年2月18日付「地押調査ノ件」大蔵大臣訓令により、明治18年から22年にかけ、絵図の更正がされたが、実際に更正のための実測をしたのは少なく、ほかは必要に応じて更正し、測量方法もまちまちであったようである。

新たに作成された地図は「地押調査図」または「更正図」と呼ばれ、土地台帳に附属する地図として明治22年地券制度が廃止され「土地台帳規則」(明治22年3月22日,勅令第39号)により土地台帳に附属する地図として、町村分は郡役所に、市の分は府県庁に、市制未施行の区の分は区役所に備え置くことになった。

この「土地台帳附属地図」がいわゆる「公図」である。

土地台帳はいずれも地租徴収つまり課税のために行われたものであるが、このような地籍の整理を基礎として、「登記法」(明治19年8月11日,法律第1号)が公布された。

ところが、登記関係は治安裁判所及び「郡区役所其他司法大臣指定スル所」であったため、登記と台帳は別々に管理運用された。

つまり土地台帳管理と登記が別々に行われたため内容が一致しないものが少なくなかった。

このあたりに、「登記に公信力なし」といわれるようになった由縁があるのじゃないか。

えっ、「登記に公信力なし」って何だって? 

そりゃもう簡単なことで、登記簿を信じちゃいけないっていうことだよ。

※公信力(こうしんりょく)とは、表面を信頼して取引した者は、表面と真実が一致しない場合でも、表面どおりの法律効果を認められるというもの。

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1.登記所には地図がない?
2.沽券にかかわる!?
3.字限図
4.登記簿を信じちゃいけない?!
5.公図に書き込む場所がない?!
6.迷子になった土地!?
7.登記所にある図面

 

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